岡崎市出身の漫画家

ヒカルの碁の原作者

漫画

とりいかずよし

漫画家のとりいかずよしは正確には愛知県額田郡額田町の出身になるのですが、現在この地域は岡崎市に含まれるので岡崎市出身と言っても問題ないでしょう。 1946年11月12日生まれで本名は鳥居一義、額田町立形埜中学校を卒業した彼は日本放送映画へ就職して映画製作に携わる予定でしたが、 その就職先がちょうどアニメーションの制作を新事業として開始したため、アニメーターとして仕事をすることになってしまいました。 ここで少しですが漫画家へ近づいたような感じもしますが、まだまだ漫画家になるとは本人ですら思ってもいなかったでしょう。 その後スタジオ・ゼロへ移籍して原画スタッフとしてバリバリ働きますが、たまたま「天才バカボン」で有名な赤塚不二夫にスカウトされて 1968年にフジオ・プロダクションへ移籍することになりそこで赤塚不二夫のアシスタントをします。 バカボンというギャグマンガは誰でも知っていると思いますが、誰がバカボンなのかを勘違いしている人は意外と多いようで、バカボンのパパをバカボンだと思っている人が バカボンという作品の素晴らしさを熱弁するのを聞いていると、少し残念な気持ちになってしまうのは私だけではないでしょう。 アシスタントを経て1969年に別冊少年サンデーで読みきり作品「くちなし犬」で漫画家デビュー、週刊少年ジャンプで「トイレット博士」で連載を開始します。 これが大人気となり、単行本の発行部数が1千万部を超える大ヒットとなります。1980年代半ばまではギャグ漫画を描いていましたが、その後はストーリー物を手掛けるようになります。

竹内元紀

愛知県岡崎市出身の下ネタギャグ漫画家といえば2月23日生まれの竹内元紀(たけうち もとき)も忘れてはなりません。 この人の作風はマシンガンのように畳み掛ける下ネタの連射で、読めば大爆笑間違いなしなので電車の中で読むのはお勧めできません。 もしあなたが電車に乗っていたとして、座席に座って漫画を読んでいる人がいきなり目の前でブッと吹きだしたら驚くでしょう。 他の乗客を驚かさないためにも電車に乗る時はギャグ漫画を読むのは遠慮して、せめてストーリー物に留めておくのが大人のマナーです。 ストーリ物なら涙腺が弱い人が涙ぐんだりポロポロと大粒の涙を流すことはありますが、それはとても静かな反応なので周囲であなたを見る人をビクッと驚かす心配はあまりありませんし、 日本中どこの都市でも電車の中で泣く人はそれほど珍しいものではなく、特に東京や大阪、愛知では日常茶飯事の光景でしょう。 覚えておくべきことは「電車の中では面白すぎるギャグ漫画を読まない」です。 彼が漫画家を目指した理由は公務員を目指していたところ失敗したので漫画家に転向したという、ごくありふれた誰にでも経験あるようなとっても普通の理由だそうです。 大学では法学部だったそうでその知識が漫画にも活かされていますが、それでも幾度となく繰り返される下ネタを打ち消せるほどの高尚な漫画にはなっていません。 登場人物にはキュートな女性キャラが多いにも関わらず下ネタを極めんといわんばかりにボケやツッコミをこれでもかと畳み掛ける作風は、竹内元紀が岡崎市出身であるがゆえなのか 公務員を目指していたからなのか、はたまた法学部出身だからなのかは謎ですが、彼の作品の大きな魅力であるでしょう。

放課後

ほったゆみは本名を堀田由美(旧姓は太田由美)といい、1957年10月15日生まれの岡崎市出身で名古屋市在住の漫画家です。 有名な作品では週刊少年ジャンプに連載されてテレビアニメにもなった「ヒカルの碁」同じくジャンプで連載された「ユート」などがあります。 「ヒカルの碁」は原作のみ担当で作画は小畑健の作品となっており、タイトル通り若いヒカル君が囲碁を打つお話です。 この漫画が囲碁の普及に一役買ったこともあり、第33回大倉喜七郎賞など囲碁界の賞を受賞したほどの人気漫画になりました。 皆さんの知り合いの中にもこの漫画の影響で囲碁を覚えた人、囲碁のルールに興味を持った人、思い切って囲碁セットを購入した人などがいるでしょう。 それまでは年配の方しかプレイしなかった囲碁をオシャレな若者の間でも流行らせた功績は大きく、囲碁人口の爆発的増加に貢献したのだから囲碁の賞を貰ったのですが、 もちろん普通に漫画関連の賞も受賞しています。それは第45回小学館漫画賞です。これだけでも「ヒカルの碁」どれだけの人気作品なのかわかるというものです。 また中部地方の方なら「ほったゆみ」の名前を新聞で見かけたことが多いかもしれず、それはどこでかといえば中日新聞の夕刊の挿絵の画家としてその名を見たことがあるのではないでしょうか。 でもこの「ほったゆみ」は「ヒカルの碁」の原作者ではなく、その夫が名義だけを借りて挿絵を描いているのだそうです。 夫の堀田清成も漫画家で、実は「ヒカルの碁」の原作も夫婦が協力して力を合わせてアイデアを生み出していたとの逸話があります。ちなみに夫の方は岡崎市出身ではありません。