岡崎市出身の歌手

「待つわ」で有名な・・・

コンサート会場

岡村孝子

岡村孝子は岡崎市民なら誰でも知っているシンガーソングライターです。 父親は岡崎市議会議長を務めたこともある岡村秀夫で、1962年1月29日に岡崎市で生まれた岡村孝子はきっと乙川を毎日のように眺めて成長したのでしょう。 西本郷町で生まれた彼女は岡崎市立矢作西小学校から岡崎市立矢作中学校へ、愛知県立岡崎北高等学校を卒業後は椙山女学園へと進学します。 この時に同級生だった加藤晴子と「あみん」を結成して1982年にポプコンでグランプリを受賞したことが、歌手としての第一歩になります。 あみんとしての活動は翌年の1983年に休止して椙山女学園も中退してしまいますが歌手としての活動を多数のファンに求められ、1985年にはあみんではなく岡村孝子としてソロデビューをすることになります。 短期間でファンを魅了してしまったが故にもう一般人に戻れない、あの歌声をもっと聞きたいと思われるアーティストとしての道を歩む人生になったのです。 アルバムの売上が600万枚を超える彼女ですがほとんどの曲を自分で手掛けており、唯一来生たかおのカバー「はぐれそうな天使」はテレビコマーシャルに起用され、 岡村孝子の知名度と人気を全国的に不動のものとしました。 その後の活動のほとんどはソロ名義で行ってきましたがたまにあみんとしての活動も行っており、2007年には紅白歌合戦にあみんとして出場をしています。 女性の心理を見事に表現した楽曲が多いせいか若いOLに人気があり、OLの教祖と呼ばれることもある彼女の歌声は、これからも多くの女性の心を癒し続けていくのではないでしょうか。

加藤久仁彦

加藤久仁彦(かとうくにひこ)は本名を加藤邦彦といい、兄弟デュオの狩人で兄を担当している岡崎市出身の歌手および俳優です。1956年9月19日生まれだけあって作詞作曲も行っています。 狩人としての活動以外も多く、平成10年には俳優デビューもしているので歌っている姿以外も目にする機会が増えてきたのではないでしょうか。 狩人では加藤久仁彦の名前で活動していますが、ソングライターとしてはこの名前の他にかとう邦彦名義を使ったり本名を使うこともあります。 なので「あ、この曲を作った人の名前って狩人(兄)の名前に似ているな」「狩人の人かと思ったけどよく見たらちょっと違った」 「世の中には狩人の名前にこんなに似てて曲の雰囲気も狩人っぽい作品を作る人がいるんだな、驚きですね」などと思ってたら実は狩人(兄)の別名義だった、なんてこともありえる話です。 狩人は2007年に解散してしまうのですが2012年に再結成されます。やはり加藤久仁彦の原点は狩人、狩人といえば「あずさ2号」になるのでしょう。 解散してソロ活動をしていた頃はアマチュアボクサーとしても活動していたそうですが、やはり基本は歌手業になります。 2010年にはトップギャランにボーカルとして参加して歌いまくっていました。 加藤久仁彦の名前で「加藤久仁彦&トップギャラン」としての活動なので、完全にトップギャランに加入したという表現はちょっと違うかもしれません。 ちなみに次男の加藤三希央はローザンヌ国際バレエコンクールで6位に入賞したこともあるそうです。

加藤高道

加藤高道は兄の加藤久仁彦と同じく愛知県岡崎市出身の歌手で、兄弟デュオの狩人のメンバーであり物真似タレントでもあります。 1960年1月21日生まれなので兄の加藤久仁彦よりも後から生まれてきたことになりますが、弟なので当たり前のことでしょう。 あずさ2号で有名な狩人の活動以外にもTAKAMICHIとして芸能活動をしておりますのでこちらの名前をテレビで目にすることもあるでしょう。 ソングライターとしては本名でもある加藤高道をメインに使っていますが、かとう高道の名義で作詞作曲をすることもありました。 いろいろな方面で活躍するようになるとそれぞれのイメージに合わせて名義を使い分けるようになるものなのでしょうか。 別名義を使う理由として、それまで知られていた自分であることを隠したい、同一人物であることを内緒にしたい、別人ということにしておきたい、などといった理由が考えられますが、 ここまで本名に近い別名義だとそうした理由ではないでしょう。 ホラー作家として有名なスティーブン・キングも別名義でホラーでない小説を出版したことがありますが、この場合は自分に付いたホラーのイメージの無い状態で、新人作家としてどのような評価をされるか、 それを知る意味で完全に本来の自分を隠して出版されたそうです。 でも「加藤高道」が「かとう高道」になっただけなら見る人が見れば、このふたつの名前は同じ人でしょ、と見破られてしまいます。この場合の別名義は縁起を担いだりするようなものかもしれません。